目が二つあるわけ - 和人VOICE

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目が二つあるわけ

宋雲院での
坐禅3日目は、1日目・2日目と若干内容が違っていました。


25分+5分の休憩を3回繰り返したので、3日目もてっきりそうだと思ったら
どうも様子がおかしい、最後の坐禅タイムは限界まで結跏趺坐(けっかふざ)を試そうと
思っていただけに肩透かしを食らった気分でした。


ホームページをしっかり見ると20時より「川口市長徳寺様による臨済録の提唱(講話)が
あります」と記載されていました(汗
この講和がさっぱり訳がわかりませんでした。


そうそう3日目は企業の研修らしき団体が大勢参加していたんですよ。
でも、坐禅を組むのにストッキングを履いていたり、時計を付けていたり、
挙句の果てにワイシャツにネクタイまでビシッとしているんです、更に更に、それを
記録するカメラマンまで・・・住職も大変だなぁ、と思った次第です。


提唱の為に漢文のコピーが配られました。しかもこの提唱は毎月行われているので
話の途中から読むわけです(と言っても漢文の読み方なんてすっかり忘れていますが)。

3日間、しかも僅かな時間の坐禅体験でしたが坐禅の型は何となく分かったので
よい収穫です。
薄暗い中、部屋の中だけは一瞬の静寂が訪れました。
慌しい世の中ですが、一日の中の30分でもこんな時間を持つことが出来れば
生き方そのものが変わるような気がします。


人間(ほとんどの生き物)には二つの目があります。
これは何故かと言えば片目だと遠近感が取れないからでしょう。試しに片目で
バッティングセンターに行って球を打ってみてください。
あるいは片目で針に糸を通してみましょう、難易なことが分かるでしょう。


両目で見る事によって立体感を持つことができるわけです。


物事も同じです。
一方向だけで物事を捉えようとしてもなかなか全体像は見えないもの。
ニュースを見ていると真面目で友達も多かった子供が突然自殺をした、なんて事があります。
関係者に聞くと「まさか・・・」とか「あの子がどうして・・・」というコメント。
これはその子の片側しか見えてなかったからではないでしょうか?

誰もが羨むオシドリ夫婦が突然離婚(ドラマでもよくありますが)、傍から見れば幸せそうな
家庭も、その内側では愛情がとっくに冷めていた・・・


片側からでしか見ないことは平面でしか見えていないということ、円だった物が実は
球だったり、棒のように見えていたものが複雑な形をしていたりするものです。
それを見るには色んな視点から物事を捉える事が必要なわけです。


でも、自分が片目で見ているのか?それとも両目で見ているか?なのかは
分からないと思います。
人間には思い込むクセがありますから。


そんな時に効果的なのが坐禅などの瞑想ではないでしょうか?
自分の心を空っぽにする事で客観的な目が開かれるのです。


まぁ、一日の中で10分でもいいから静かな場所で自分と向き合ってみては?
という話でした。
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