ランニングと坐禅 - 和人VOICE

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ランニングと坐禅

趣味で・・・と言うより本格的にランニングをやっているんですけど、ランニングを
していると心のモヤモヤや悩みを忘れる事ができるわけです。

何か行き詰った時に、じっと考えているよりも頭を空っぽに出来る様な好きな事って
絶対に人間には必要ではないでしょうか。
それはスポーツでも創作でも料理でも何でもいい。
あえて言うなら「夢中になれるもの」です。


何回かに渡って『坐禅』の事を書いてきましたが坐禅の目的も究極を言えば
無の境地です。
でも、いきなりこの境地へ達する事が出来る人はいないでしょう。
坐禅中には様々な煩悩が浮かんでくるものです。それが決して悪い事だと私は
思いません。
その瞬間に浮かんで来たものはもしかすると日常生活に忙殺されている時には
心の奥に押し込められたものかもしれませんからね。


無我夢中、とうい言葉がありますよね。
私の敬愛する石井裕之氏の好きな四字熟語が無我夢中なわけですが、
これこそ正に坐禅の境地と似てはいないでしょうか?

我(を)無(くして)夢中になる。
その時ってきっと頭の中は空っぽだと思うわけです。


でも、この無我夢中という言葉、子供には使っても大人には使われないような
気がします。

子供に対して「日が暮れても彼らは無我夢中になって遊んでいた」とは言っても、
「部長は無我夢中に仕事をしている」なんて聞いた事がないですから。

熱中の度合いが違うんだと思います。
子供が遊ぶ事って自然な事ですから、遊んでいる子供達に遊ぶ目的はないはず、
強いて言うなら楽しいからかな。


無我夢中になって楽しめるもの。
これさえ見つかれば、先行き不透明なこんな時代でも踏ん張って生きていけるのでは
ないでしょうか。
そして、子供の時に無我夢中になって遊ぶ事って絶対に必要な事だと思うわけです。

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